このお方が私の主人です

趙 淇善 説教集

感謝を忘れた人々

そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、
声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。
イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。
そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。
神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
(ルカ17:11~18)



 感謝祭のメッセージのためにずっと祈ってきました。このように年を取りますと、感慨深いことが色々とあります。
牧会をする中で神様が助けてくださったり、みわざをなして下さったりした全てのこと。家庭的にも恵んでくださった事。
数えきれないほどの恵みを神様は与えてくださいました。


昨日ニューヨークに住む次女から電話があったので思い出しましたことをメッセージの前にお話しさせていただきます。
次女は感謝祭の日の早朝、ソウルで生まれました。終戦後何もない時に忠正長老教会を開拓した頃でした。
北から避難民が続々とソウルに集まってきており、私達は北阿げん町(注:原文ママ)で伝道を始めたのです。
どこからも援助が無いので、食べていくために私は太鼓焼きを道端で焼いて売りました。ですから、日曜学校の生徒が私を見て「太鼓焼きの先生だ、太鼓焼きの先生だ」と言いました。
誰もが苦労した時代ですが、私にとっても大変苦労した時代でした。


そういう中で次女は生まれました。11月、ソウルはもう寒くなっておりました。
当時は産婆もいたし、病院もありました。しかしお金が無くて一度も見てもらうこともできませんでした。
長女の時は田舎から母が来て産婆の役割をしてくれましたが次女の時にはもう亡くなっていて、誰も助けてくれる人はいませんでした。
なので私は婦人雑誌の付録にあった出産に関する記事を読んでそれなりの準備をし、家内が産気づいたときは停電していたので真っ暗な中でランプのほやをきれいに磨き、ハサミを消毒しておきました。
そして近所に住む信者さんを呼びに行っている間に子どもが生まれてしまったのです。


しかし産声をあげません。赤ん坊の首にへその緒が巻き付いています。
私は慌てるな、慌てるなと自分に言い聞かせ、祈りながら本に書いてあったことを思い出しました。
“生まれてきても泣かない時は、赤ちゃんの両足をもってぶら下げ、お尻を叩くように”、と。
私は急いでその通りにしました。
すると“ワーン”と泣いたのでほっとし、慣れない手でへその緒を切りました。
丁度手伝いに駆け付けた婦人と一緒にお湯できれいに洗いましたが、赤ん坊は寒さのためか紫色になっていました。
赤みが次第に差してくるのを見てほっとし、そして夜が白々と明けてきて、感謝祭の礼拝を迎えたのです。
そしてその日のために用意した説教のみ言葉の中から”神に栄光をささげよ”の栄をとって生まれた赤ん坊に栄淑と名付けました。
その娘が、もう三人の子供の母親になり、幸せに暮らしています。私は感謝祭が来るたびにそのことを思い出し感謝の気持ちを新たにするのです。


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私はこの日の説教のため祈りながら準備をしてきましたが、その中でルカ伝17章の十人の籟病人の話が頭から離れませんでした。
それで今日は“感謝を忘れた人々”という題でこのみ言葉によって恵まれたいと思います。


ここには籟病人十人がイエス様の前に現れたとあります。そしてイエス様に病気を治してください、と頼んだので、イエス様は治してあげました。けれど感謝を言いに引き返してきたのはたった一人、それもユダヤ人ではなく異邦人であるサマリヤ人たった一人だけだった、という話です。


では、この中からいくつかのことをご一緒に考えてみましょう。


この十人はイエス様のお言葉だけを信じて治ったのですから、とても素晴らしい信仰を持っている人たちです。


”ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。”とあります。


当時籟病人は健康な人の近くに行くことを許されていませんでした。籟病というのは肉が腐る病気ですから、そばへ行くととても臭い匂いがします。当時は薬もなければ医者も治すことができません。ですから絶望です。こういう時代に彼らはイエスのところへ来て「イエス様、先生、どうぞ私達をあわれんでください!」と大声で縋り付いたのです。
絶望の淵に立たされながら、なおイエス様だけに必死に寄りすがる信仰です。

イエス様にだけ全的に望みをおき、すがり付く信仰をこの十人の籟病人に見るとができます。


私たちはこの世で様々な苦難にあいますが、その時に心に銘じておくことは

イエス様にだけより頼む。この信仰を持たねばならないということです。

主は私達を愛してくださいます。神は愛の神です。
ヨハネ伝3:16に、神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。とあります。

神様が私を愛してくださっているということを忘れてはなりません。神は恐ろしい方ではありません。

皆さん、この世の様々な神を信じる人々は神の祟りを恐れます。そんな神を信じて何になりますか?

私を愛し、助け、守り、永遠の命を与えてくださる神を信じないで、罰を与えたり祟ったりする神を信じて何になりますか?
真の神は私達を愛してくださる神様です。

私たちが死ぬとき、何を頼りにして死ぬのでしょうか。何を信じて死ぬのでしょうか。神の愛以外にはありません。

神様が私を愛してくださるから、その愛を信じて天国へ行くことができるのです。

どんな窮地に追い込まれても、神に寄り縋ることだけしかないということを皆さん、覚えておいてください。

この十人が大声で「イエス様、先生、私達をあわれんでください」と叫んだように、私達もイエス様に寄りすがることを忘れてはなりません。


さて、そのように寄りすがる十人の籟病人に対してイエス様は「行きなさい、そして自分を祭司に見せなさい」と言われたと聖書に書いてあります。

これは籟病が治ったら祭司に見せるようにというレビ記の記載に基づいています。
祭司に治ったことを証明すれば、社会復帰することができるのです。

他のことは何も言われずただ「自分を祭司に見せなさい」と言われたということは、もう病気は治ったということなのです。この言葉を聞いて、信じて、彼らは言われた通り祭司のところに行く途中で癒されました。

聞くだけで信じる。素晴らしい信仰です。


マルコ伝にも籟病が癒された話があります。こちらの方は「お心一つで、私はきよくしていただけます」という籟病人に対してイエス様が深く憐れまれ、手を伸ばして彼にさわり、「私の心だ。きよくなれ」と言って癒されています。


しかし、今日の箇所の10人にはそういうことも約束も何もありませんでした。

ただ、「祭司に見せなさい」と言われていったのです。これを見ても彼らの信仰がどんなに立派だったか分かります。


では、何故9人は褒められず、1人だけが褒められたのでしょうか。何の違いでしょうか。

9人はユダヤ人でした。彼らも祭司の所へ行く途中で治ったことを知りました。祭司の所へ行くということは、社会に復帰できる、ということです。けれども彼らはそのことを忘れ、病が癒されたことだけを喜んで家に帰ってしまったのです。
イエス様がもう病は癒されたから社会復帰しなさいとの意味で言われたことをすっかり忘れていたのです。
私達も罪のため籟病のように心が腐りはてた人間ではありませんか。それをイエスキリストの十字架の血潮によって清められた者です。

私たちは籟病を直していただいた者と同じなのです。

直していただいた後どうすべきでしょうか。罪許され、清められた者として信仰生活をしなければなりません。この信仰生活を重要視しないために、色々と問題が起こるのではありませんか。


ここで私は実例をもってお話ししたいと思います。
私達は言葉に注意しなければならない、ということです。

タコマ(注:ワシントン州タコマ)での出来事ではありませんが、教会の役員をしている人の店にアメリカ人が買い物に来ました。そして急用があるから電話を使わせてくれ、と電話をかけました。そこへ外から帰ってきたその店の奥さんがそれを見て「あの犬め、金を払ったのか払わなかったのか」と主人に聞いたのです。
アメリカ人だから韓国語が分からないと思ってそのような言葉を使ったのでしょうが、そのアメリカ人は電話をかけ終えた後「私が犬なら、あなたは誰ですか」と上手な韓国語で話しました。彼は韓国女性と結婚しており、韓国語を勉強して情報部に勤務している人でした。韓国にも3年暮らしたこともあります。


皆さん、私達は反省すべきです。特にクリスチャンは言葉に気をつけねばなりません。同じ言葉なら日本人と言えばいいのにウエノム、中国人をテエノムと必ず「ノム(奴)」をつけ、黒人のことはカムドインと言うのです。

なぜですか。私たちは本当に普段から言葉に気を付けなければなりません。

言葉だけではありません。

私はLAにいる時、新年に4つの教会で役員修練会の講師をしたことがありましたが、ある教会で牧師に特別なお願いをされたことがありました。
それは若い婦人執事のことでした。この方は特別集会には欠かさずどこへでも出かけますし、立て板に水のようによどみなく、美辞麗句を並べて上手に祈るのです。しかし、姑に対する態度は目に余るものがあるというのです。なんとか悟るように話してほしいとその牧師は私に言いました。


また、こういうこともありました。

ある晩遅く電話がかかってきましたので受話器を取ると「先生、一つお聞きしたいことがあって電話をいたしましたが、私の名前は聞かないでください」というのです。
「私の友達が、ある教会で恵まれたのでピアノを買って捧げました。しかし、牧師とそりが合わなくなったので教会を離れることになり、そのピアノをもって出たのです」

「そのピアノはどうしたのですか?」と私が尋ねますと、

「とても恵まれた教会があったので、友達はその教会に行ってピアノもそこへ捧げました。」

「でもそこの教会の牧師は異言を語ることができません。聖霊を受けていないのです。だからその教会を出ることにして、ピアノを返してほしいと言ってもその牧師が返してくれないのです。どうしたらいいでしょうか」と言うのです。

私は「それは友達ではなく、あなた自身でしょう?」と尋ねましたら、黙っています。

そこで私は「斧を買ってきてピアノを叩き壊してしまいなさい、と言いたいところだけどピアノが惜しい。ですから、養老員でも孤児院でも寄付してしまいなさい。そんなピアノを教会に置いておくのは良くありません」と答えました。
彼女が誰か私は知りません。


どうしてこういう話をするかと言うと、信仰とは何かということを考えていただきたいからです。
私達が社会で、家庭で、教会で生活するときに、信仰を持っているなら信仰を持っている者として生活しなければなりません。

口先だけ神様を信じる、イエス様に従うと言うのはだめです。それは本当の信仰ではありません。

ここに出てくる9人のユダヤ人は損得、成功と失敗、結局これらが彼らの人生観でした。

「今日は良い人に出会って得をした」というだけで終わったのです。

イエス様の力を信じる信仰。そして癒していただいた。そこで終わってしまったらそれは信仰ではありません。その後に信仰を持って暮らさなければなりませんが、彼らはそれが分からなかったようです。


たった一人、異邦人であるサマリヤ人だけ癒されたことを知ると、大声で神を褒めたたえながら引き返して来てイエスの足もとにひれ伏して感謝しました。

イエス様は「10人癒されたのではないか。9人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには誰もいないのか」と言われたのです。


私たちは神様に感謝の心をもって信仰生活をしなければなりません。

感謝の心が無くなった時、干からびた人生になってしまいます。どんなことでも感謝することを忘れてはなりません。

ある人は言うでしょう。「私には感謝することが何もない」と。

「私には色々な苦労があるのに何を感謝するのか」

「私には今こんなに心配事があるのに、何を感謝するのか」という人もいるかもしれません。

実際、移民生活は悩みが多いものです。家族同士でも苦しいことがあるのでつい相手を傷つけることを言ってしまいます。

夫婦の間でもお互いによくない言葉のやり取りがあるかもしれません。それはお互い生活が大変で疲れるからだと思います。そのような生活を私たちは皆しております。

けれども私が願うのは、そのような中にあっても神様に感謝し、お互い譲歩しあい、愛し合い、大事にしあって信仰生活を送ってほしいということです。

私が私の家庭を愛さず、家族に神の真の愛を見せないで、誰を愛することができ、神の愛を持っているということが言えるでしょうか。

私たちは苦しい生活をしていますが、その中にあって神に感謝をささげる条件を探してみましょう。

そして常に感謝をする生活を送るようにしましょう。
感謝を忘れた人になってはいけないと思います。


1987年11月 感謝祭